「親」というものを普遍的な存在と捉えるならば、その影響力は、子供のみならず、家庭、社会、国家、そして世界や人類にまで及ぶものである。
親の能力が問われる今の背景には社会全体を歪ませる要核が見出されているという事を内省に加給すべきだろう。
然るに私が長らく編纂してきたこの親学は、その名の通り「親のための学問」すなわち教養として価値のある情報を示唆すべく立体化されたものである。
「学問」すなわち普遍的であり科学的であり根拠や立証により保全されている真実を、「親の能力向上の為に寄与せんと」体系化し、情報として提供する。これが目的だった。
ところが、2007年初春、政府が、非学問的な学問としか捉えようのない「親学」を宣揚し始めた。
子供に子守唄を・・・
子供は母乳で育てるべき・・・
エマニュエル・カントを引き合いにするまでもなく常識的に学問とは、公に通じる力を持っていなければならないものと言えようものである。
理由や立証や明白な根拠や、あるいは数式などの形式知に頼らなければならない部分が多様にあるということだ。
子供の就寝時、何Hzの音階、音程により何bdくらいの音、調律を聞かせた場合、それを聞いている子供の前頭葉のどの部分の血流が安定し、脳波がどう変化し、脳内環境がどう変化するから、子守唄を「この様に聞かせることにより」子供の精神的な安定感を増長させることができる(という実験を何年間行った)。
という「情報」・・・
あるいは母乳には、粉ミルクに無い○○という成分が豊富に含まれており、然るにこの成分は脳または脳幹(これも脳だが)の働きに対し「この様な効果」があるということが実験により判明したゆえに、母乳を与えることができ得る母親は一日に何gの母乳を乳幼児に与えることが理想である。
それにより「乳幼児の将来に○○といった肯定的な要素を見出すことができるであろう」という「情報」・・・
これが学問でありよって親学ならばこれが必要なのである。
然るに私は、ここ数年来続けてきた親学の方向性について、つまり提供してきた親学の情報の質について、最近、感慨することが多くなってきた。
これから必ず始まる少子高齢化、格差社会、破綻する年金、浮薄化する社会保障制度、デフレ、労働力のスリム化・・・
形而下の、経済やコミュニケーション、あるいは、時に親の娯楽に通じるものをコンテンツとして取り入れ、ないしはテーゼに対し更に力強い揚力を与えるべきではなかろうかと・・・
この様な気概により親学はインターネットテレビにて生まれ変わった。 |